1. この街を歩く理由
東京駅は、この国のあらゆる場所へと線路が伸びていく起点だ。その赤レンガの駅舎を背に、今日は日本橋、そして人形町まで、一日をかけて歩くことにした。
近代化の象徴として建てられた駅と、江戸期から五街道の起点として日本の中心であり続けた橋。日本銀行の前を回って歩いても、その間の道のりは1.4kmほどしかない。それなのにそこには、明治の洋風建築、老舗の暖簾、地方の酒、そして下町の一杯まで、いくつもの時代の東京が重なり合っている。今日はその重なりを、実際に自分の足で歩き、確かめてきた記録である。
2. 散歩コース概要
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出発 | 東京駅丸の内駅舎(11:00頃) |
| 終了 | 屋台酒場あぐらし(日本橋小舟町、人形町駅の近く。20:30頃) |
| ルート | 東京駅 → 井上勝像 → 日本銀行本店本館 → 三越(ライオン像・中央ホール) → 日本橋とやま館 → 日本橋(道路元標) → 玉ひで → 三井記念美術館 → 水天宮 → あぐらし |
| 所要時間 | 約9時間30分(食事・美術館鑑賞・夜の一杯込み) |
| 天候 | 時々小雨がぱらつく程度。全行程のうち傘を差したのは1〜2割ほど |
| 目安予算(一人あたり) | とやま館の飲み比べ¥1,000、玉ひで¥3,500前後、三井記念美術館¥1,200、あぐらし¥5,000程度 |
| 歩き方のメモ | 玉ひでは人形町、三井記念美術館は室町側にあるため、昼食後にいったん室町側へ戻り、美術館のあとは再び日本橋を渡って水天宮へ向かった |
3. 東京駅から日本銀行、三越へ
11時、東京駅丸の内駅舎の前に立つ。辰野金吾が設計したこの赤レンガの駅舎は、1945年の空襲で3階部分や南北のドームを失ったが、2012年、戦災で失われた3階部分と南北ドームを創建時の姿に復原したものだ※1。曇り空の下、行幸通りの向こうに、建設中のTorch Towerの骨組みが見えた。常盤橋の再開発街区「TOKYO TORCH」の中核となる超高層ビルで、2028年の竣工を予定している。完成した暁には、この街の風景がまた一つ上書きされるのだろう、とその足場を見上げながら思った。
駅舎を出てすぐの駅前広場で、一体の像に足が止まった。「鉄道の父」と呼ばれた井上勝の像だという説明書きを読む。井上勝は新橋―横浜間の鉄道建設を指揮した人物で、像は1914年の東京駅開業に合わせて初めて建てられた。戦時中の金属供出や駅前の改修による撤去を経て、今の像は2017年に再び現在の場所に据えられたものだという※2。

丸の内から日本橋方面へ歩く道すがら、ときどき小雨がぱらついた。傘を差したり畳んだりを繰り返しながら、まずは日本銀行本店本館へ向かう。
日本銀行本店本館は、東京駅と同じく辰野金吾の設計で、1896年の竣工。1974年に国の重要文化財に指定されている※3。外観だけを眺めても、東京駅とはまた違う重厚さがある。同じ建築家が手がけた二つの建物を、一日のうちに見比べられるのも、このコースならではだと思う。

日本銀行から中央通りへ出ると、三越の威容が目に入る。現在の本館は、1914年竣工の建物の躯体の一部を生かしながら増改築され、1927年に現在の本館の基礎となる姿へ更新されたもので、2016年に国の重要文化財に指定されている※4。
正面玄関には、本館完成時の1914年から一対のライオン像が座る。ロンドンのトラファルガー広場にある獅子像をモデルに、当時の経営者・日比翁助の発案で英国で製作されたものだという※4。

中に入ると、1935年の増築で設けられた5層吹き抜けの中央ホールが広がる。見上げると、ステンドグラスを配した大天井が視界いっぱいに飛び込んでくる。天井から差し込む光の下、見上げるほどの大きさの美術品が据えられている光景は、通り過ぎるだけのつもりが思わず足を止めてしまうものだった。

呉服の三越と、金融の三井。そのルーツはどちらも三井家にある。三越の起源は1673年(延宝元年)、三井高利が江戸本町一丁目に開いた呉服店「越後屋」で、1683年には店頭での現金決済と正札販売を掲げる「店前現銀無掛値」の商法を打ち出した※5。一方、両替商から発展した三井の金融事業からは、1876年に日本初の私立銀行とされる三井銀行が生まれている※6。一つの家が商いと金融の両輪で近代日本を支えてきた足跡を、この街ではそこかしこに見ることができる。
4. とやま館で寄り道、そして日本橋へ

三越を出て、日本橋へ向かう途中、日本橋とやま館に立ち寄った。富山県のアンテナショップで、館内のバーラウンジ「トヤマバー」で、有料の地酒飲み比べを楽しめる。飲み比べセット(¥1,000)を頼むと、木の盆に3種の小さなグラスと、それぞれの銘柄を記した札が添えられて出てくる。
一杯目は「福めぐり ひやおろし」。富山市八尾町の福鶴酒造で醸された純米原酒で、アルコール度18度、コクのある味わいが特徴とある。二杯目は朝日町の林酒造場の「黒部峡」純米吟醸生酒、旨味のある辛口。三杯目は一杯目と同じ福鶴酒造の「ふくく」生酛純米大吟醸で、ほのかな木の香りと酸味が効いたキレのある飲み口だった。昼食前だというのに、つい誘惑に負けて、富山の酒を三種、舌の上で飲み比べてしまった。そんな寄り道から、今日という一日の味わいの旅は静かに幕を開けた。

とやま館に寄り道したあと、日本橋へ出る。日本橋は1603年に初めて架けられ、翌1604年には日本橋を起点とする五街道制が敷かれた※7。現在の石造二連アーチ橋は1911年、ルネサンス様式で架け替えられたもので、親柱の銘板に刻まれた「日本橋」の文字は最後の将軍・徳川慶喜の揮毫によるものだという※7。
橋にまつわる話で意外だったのは、道路元標の「本物」の位置だ。1972年、それまで橋の中央にあった「東京市道路元標」は北西詰の広場へ移設・保存され、その旧位置である橋の中央には、当時の内閣総理大臣・佐藤栄作の揮毫による「日本国道路元標」が新たに設置された。つまり日本国道路元標の本体は今も橋の中央の車道に埋め込まれていて、北西詰の「元標の広場」で見られるのは、移設された旧東京市道路元標の実物と、日本国道路元標の複製なのだという※7。橋詰の説明板を読むまで、てっきり広場にあるのが本物だと思い込んでいた。

獅子像と麒麟像、そして道路元標。橋の上を絶えず車が行き交い、その上を首都高速道路が覆う。江戸の起点だった橋が、今も現役の交通の要衝であり続けている光景に、東京という街の時間の重なりを見た気がした。

5. 玉ひでと三井記念美術館
日本橋を渡り、人形町の玉ひでへ。宝暦10年(1760年)創業、親子丼発祥の店として知られる※8店だ。頼んだのは元祖親子丼(¥2,800)。スープと漬物が付き、キリン一番搾りの小瓶(¥700)も合わせた。

野菜を一切使わない潔い仕立てで、東京しゃもの力強い旨味と、艶やかな半熟玉子が米と溶け合う。まるで濃密な旨味のスープをそのまま飲み込むように、するりと喉を通り抜けていく一杯だった。つくねの入ったスープもシンプルながら深みがあり、この親子丼にぴったりと寄り添う味わいだった。

玉ひでの歩みや、親子丼に使われている「東京しゃも」については、別の記事にまとめている。
人形町「玉ひで」で元祖親子丼を味わう ― 創業1760年、建て替えを経た老舗の一杯

食後は室町側へ戻り、三井本館の中にある三井記念美術館へ。この日はちょうど「館蔵の茶碗100撰 ―国宝から手造茶碗まで―」(2026年11月23日まで)の初日にあたっていた。一般券は¥1,200。14時過ぎから1時間40分ほどをかけて、じっくりと茶碗を見て回った。展示の様子と印象に残った茶碗については、別の記事にまとめている。
6. 水天宮から、あぐらしで一杯
美術館を出て日本橋を再び渡り、道路元標を眺めながら水天宮へ。参拝を済ませ、日没後の人形町へと歩を進めた。

この日の締めは、人形町駅にほど近い日本橋小舟町の「屋台酒場あぐらし」。その名のとおり屋台風のせんべろ系居酒屋で、飲み放題のコースを頼んだ。生ビールを2杯、そして日本酒を4種、白いおちょこで飲み比べる。越後桜の芳醇辛口に始まり、越乃景虎の「龍」、喜多方の名水で仕込まれた「いいで」の純米辛口、そして「佳撰 酒道粋人 辛口」。一合ずつではなく、おちょこで少しずつ味を見ていく飲み方だった。最後には大将のご厚意で「而今 純米吟醸 朝日 火入」を一杯いただいた。朝日米を使った一本で、こればかりは黒いおちょこで出てきた。

料理は刺身の盛り合わせ、もつ煮、イカの丸焼き、かきフライ、ハムカツ、野菜天ぷら、やきとり(皮・塩)を頼んだ。刺身は新鮮、もつ煮はふわとろの食感で、味噌のコクがまろやかに効いていた。かきフライはぷりぷりとした食感で新鮮で美味しく、ハムカツは厚みがあって食べ応えがあった。店内は昭和の香りが残る雰囲気で、飲み放題を含めて予算は一人当たり¥5,000ほど。




※20歳未満の飲酒は法律で禁止されています。
7. 歩き終えて
東京駅を囲む高層ビル群から、日本橋、そして人情味あふれる人形町まで。歩くほどに、都会の喧騒がふっと遠のく瞬間があった。近代建築の威容、江戸から続く商いの記憶、下町に残る暮らしの匂い。そのどれもが競い合うでもなく、静かに寄り添うように積み重なっている。一日という短い時間の中に、いくつもの東京が息づいているのを感じた散歩だった。建築好きにも、食べ歩き好きにも、そしてふと出会った酒に心を寄せてみたくなる人にも、きっとどこかで足を止めたくなる界隈だと思う。
8. 取材・更新情報
- 取材日: 2026年9月12日(土)
- 天候: 時々小雨がぱらつく程度、傘を使用したのは全行程の1〜2割
- 写真について: 本文中の写真は取材日の撮影ですが、日本銀行本店本館・三越のライオン像・三井本館の3点のみ、2026年9月18日に改めて撮影したものを使用しています。該当する写真にはキャプションに撮影日を明記しました。
- 参考史料: 各建築・史跡の現地説明板、自治体・文化財データベース・各店舗の公式情報(記事末に一覧を掲載)
- 営業情報の確認日: 取材日当日(2026年9月12日)時点
- 広告・招待の有無: なし
- 更新: 2026年10月4日 屋台酒場あぐらしの料理の写真3点を追加し、料理の記述を加筆しました
参考リンク一覧
※1 東京駅丸の内駅舎の保存・復原について
JR東日本 プレスリリース
※2 井上勝像について
萩市「井上勝像が東京駅丸の内駅前広場に再び」
※3 日本銀行本店本館について
日本銀行公式「本店の建物について」
※4 日本橋三越本店本館・ライオン像・中央ホールについて
文化庁 国指定文化財等データベース「三越日本橋本店」
中央区「三越日本橋本店」
日本橋三越本店 公式「ライオン像」
※5 越後屋・三越の起源について
三越伊勢丹ホールディングス「三越のあゆみ」
※6 三井銀行について
SMBCグループ二十年史「三井住友銀行」
※7 日本橋・道路元標について
中央区「日本橋」
国指定文化財等データベース「日本橋」
名橋「日本橋」保存会
国土交通省
中央区まちかど展示館「日本国道路元標(複製)」
※8 玉ひでについて
玉ひで公式サイト
三井記念美術館「館蔵の茶碗100撰」
三井記念美術館 公式
水天宮
水天宮公式「ご案内」
竹中工務店 プレスリリース(社殿建替え)
日本橋とやま館
トヤマバー(公式)
あぐらし
食べログ「屋台酒場あぐらし」
TOKYO TORCH / Torch Tower
TOKYO TORCH 公式「Torch Tower」
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